「プラズマの花筏」

「プラズマの花筏」(「恒星少女」二次創作)

 春風が吹き込むように、窓を少しだけ開けておくよ。
変わらないものなんてどこにもないんだけれど、荒れ狂う宇宙線のさなかにあっても、プラズマの桜を探すことができるように。

 ──アルペルグ?

 私が気がかりな夢から覚めると、頬には畳の跡がくっきりと残っていた。布団も敷かずにいつから眠りに落ちていたのだろう。焦点の合わない視線を見慣れた四畳半に泳がせていると、窓明かりで本を読んでいたアルペルグが顔をあげた。

「ん、起こしちゃったかな。おはよう」

 寝ぼけた様子の私を見てアルペルグはおかしそうに笑った。彼女もまた寝起きのままといった様子で、下着も同然の格好が窓の逆光に薄暗く光っている。
彼女の髪越しに見える窓からは春の空気が流れてきていた。向かいの古いアパートはいつも通りの錆色の屋根をしていて、傾斜の低いその上には白い曇り空が窺える。自室の窓から見えるこの景色は馴染み深いはずだが、どこか違和感があった。

「なーに?」

 アルペルグの名前を呼ぶと、能天気な声で彼女は首をひねった。
私はどうやら何かおかしいことを言いそうになったようで、恥じらいを覚えた。違和感があるも何も、ここは私の自室じゃないか。そうだ、今日はアルペルグと一緒に何もしないで過ごそうと決めたんだ。やるべきことがあったようにも思うのは、何かの思い違いだろう。

「なーんか難しい顔してるねえ。またお仕事の夢でも見たんでしょ」

 仕事。アルペルグが口にした単語にちりりと頭が痛んだ。

「起きたらまず、アルペルグを起こしにいって。それから、計器の」
「だいぶ寝ぼけてるみたいだね。あたしは起きてるよ?」

 アルペルグはくすくす笑って本を隅に置いて、私の額に手を伸ばした。
彼女は私にかぶさるように動いたものだから、汗の香りが近づいてどきりとさせた。嬉しいような恥ずかしいような気持ち、彼女はそんなことも知らんぷりで私の額に触れる。体温だけを確かめてすぐ離れてしまったが、細い指先の感触が寝ぼけた精神に心地よかった。

「風邪引いたってわけでもなさそうだし。疲れてたんだね」

 言われてみるとそうだったように思えてくるから不思議なものだ。うたた寝など随分久しぶりにしたものか、体の節々がぎしぎし言い始める。
怠さに観念して身を起こすと、アルペルグは窓の外をちらりと見て、うん、とひとつ何かアイデアを得たようだった。

「ね、起きたなら買い物でも行こうか。晩御飯も決めないといけないし」

 まずは服を着ようかとアルペルグは笑った。彼女の魅力的な薄着だけでなく、私もまた外行きには少し油断が過ぎていた。彼女との生活はこんな風になりやすいし、それを怒られることもしきり。アルレシャに。そうだったはずだ。

 私はシャツの袖を通しながらアルペルグの読んでいた本に目を止めた。ずいぶん読み込んだ星座の本のようで、酷く懐かしい気がする。こんな本が私の部屋にあっただろうか。あとでアルペルグに尋ねてみようと思った。

近所のスーパーマーケットにやってきた私たちは、買い物カートを取ってからようやく何を買おうかなんて考える流れになった。家で寝ぼけている間に昼時は過ぎていたようで、埃っぽい自動ドアからは低くなり始めた太陽が覗いている。

「この前さ、アルレシャが猫ちゃん飼い始めたの。知ってる?」

 アルペルグは鮮魚のコーナーで切り身を見分けながら私に尋ねた。
魚を焼くのもいいかもしれないけれど、アルペルグは魚が好きだったろうか。まだ空っぽの買い物籠を見ながらそんなことを考えていたから、私はその問いかけにすぐに反応してあげることができなかった。

「またぼんやりしてる」

 アルペルグは私の肩を軽く小突き、私が弁明に唸るのを聞いて満足げに続ける。

「里親を探してるーって話を聞いたから、教えてあげたんだよ。そしたらアルレシャ、張りきっちゃって。『飼い主のいない猫なんて可哀想じゃないですか、私にできることは絶対にしますからね』なーんてさ」

 彼女はアルレシャの声色を真似てからかうように言った。
当人が聞いたらきっとぷりぷり怒り出すような出来ではあったが、言葉の切り方や抑揚はよく捉えているように感じた。

「だから最近は猫優先の生活してるみたいだよ。ちょっと丸くなったかもね」

 笑って応えてはおいたが、アルレシャが丸くなったところはとても想像できない。
そういえば、アルペルグもアルレシャも、猫は苦手じゃなかっただろうか。どうしてかそんな疑問が湧いてきて、聞いてみる。

「んんー、なーんかちょっとだけ苦手かもしんない。怖いなー、みたいに感じることもあるよね。あたしもアルレシャも格下みたいに思われてるみたいだし、よくぺろぺろ舐められるんだよ」

 おいしいのかな、なんてアルペルグは茶化す。

「『これだけはどうにも慣れません』なんてアルレシャも言ってたよ」

 アルレシャが猫に舐められながら渋い顔をしているのを想像してみて、これはぜひとも実物を見てみなければという気持ちが起こった。あのアルレシャが小動物にされるがままになっているというのは、なかなか話の種になりそうじゃないか。私がいたずらっぽく同調すると、アルペルグも調子に乗って物真似を続ける。

「『これは猫ちゃんがまだ小さいから許してるんです! アルペルグにもフムにも、こんなこと許しませんからね!』なんて。へへっ」

 私とアルペルグは面白くなってしまって、ひとしきり笑っていたが、しばらくしてどちらからともなく切り上げることにした。

「これ以上やると、今度逢ったときにアルレシャの顔、見らんなくなっちゃうよ」

 それから私たちは鮮魚コーナーをそのまま通り過ぎ、改めて主菜をどうしようかという話を始めた。彼女が魚を買わないだろうことはわかっていた。

 私たちが部屋に戻ってきたころには陽はすっかり傾いていて、空には夜の色が混じり始めていた。アルペルグは買い物袋をがさがさ鳴らしながら食品を冷蔵庫に収めている。調子に乗って買い過ぎてしまったから、もう少し時間は掛かるだろう。

「そうだ、フムは元気でやってる?」

 袋入りの食パンを脇に退けながらアルペルグが聞いてくる。
フム、今は私の上司にあたるが、油断するとすぐからかってくるし、所作はいちいち恥ずかしい思いをさせてくるし、相変わらずと言ったところだ。私がその中でも無難なところだけ評しておくと、アルペルグは抑揚もなくそうだろうなと納得しているようだった。

「フムならほっといても大丈夫だとは思うけど、しばらく会えてないからさ。どーせ『仕事は山積みなんだから、アルペルグといちゃいちゃしたらすぐ帰ってきなさいね』なんて言ってたっしょ」

 私は苦笑いを浮かべた。この休みに入る前に似たようなことを言っていたような気がした。アルペルグがどんな顔で話題を振ったのかわからなくて、私は返事を程々に濁しておく。

 フムは今、私とともに宇宙船の建造事業に携わっている。
天文台が遠宇宙からメッセージを受信したあの頃、それを解読するために幾つものプロジェクトが結成された。フムはそのうちの一つにメンバーとして選ばれ、彼女と縁があったことから私も助手に登用されたのだ。
それからメッセージが宇宙船の設計図であると明らかになり、私たちの仕事は一層多忙となった。こうやって休日を取ってこそいるが、本来ならそんなスケジュールではないはずだった。

「皆そんなしてお熱なんだもんなー」

 アルペルグは呆れたように言って、旧年式の白い冷蔵庫にボトルを収めていく。それはそうだろう、何十年何百年と進んだテクノロジーが送られてきていて、閉塞した時代から次なる時代に進もうというのだから、興奮しないわけもない。
だが私は今更アルペルグにそんな浪漫を説くことはしない。

「わかってるよ、ね。宇宙の話をしてるときの顔を見てたらさ」

 ばたんと冷蔵庫を閉めて、彼女はようやく振り返った。怒っていたり不満そうだったりはしていなかったが、代わりに思いつめたような表情でこんな風に言うものだから、私はどきりとさせられた。

「宇宙船が完成したらさ、あたしも乗せてよ。それくらいはいいでしょ?」

 私はいつかどこかで。猛烈な違和感に眉をひそめた。誰かと一緒に宇宙船に。宇宙船に乗り込んで、誰が待つともしれぬ深宇宙の彼方へ。
整備の漏れが気になって一人乗り込んだあの日、誰が仕掛けたわけでもなく自動操縦モードが起動して。アルペルグが心配そうに畳を踏んだので、ふわっと草の匂いが感覚をくすぐった。

「大丈夫? 晩御飯はあたしが作るからさ、ちょっと休んでなよ」

 私はその言葉に甘え、部屋の隅に寄せたままの布団に倒れこんだ。

 寝てしまっていたらしい。気づくと台所からは蒸気の匂いが漂ってきていた。エプロンをしめたアルペルグの踵が板張りの上でぼんやりと光るように見えている。
畳に寝返りを打つと、置きっぱなしになっている本が私の視界に飛び込んできた。横着にも起き上がることもせず、私はそっと手を伸ばす。

「その本が気になる?」

 私は延ばした指先をびくっと揺らし、身を起こしてから問いかけに頷いた。アルペルグはいつの間にこちらにやってきていて、エプロンをするすると解きながら私を覗きこんでいる。

「そうだよね、うん。いいよ、見よう」

 その星座の本はよほど熱心に読みこまれていたようで、背表紙は色褪せ、ページはよれよれに、鉛筆の書き込みがいたるところになされていた。太陽系の惑星の模式図がモノクロで刷られているページ。太陽の大きさと様々な星の大きさを比較したページ。望遠鏡や天文台の仕組みについて解説しているページ。それは宇宙に関する初歩の教本だった。

「最初からずっと置いてあったよ。きっと大切な本だったんだね」

 そうか、これは昔私が使っていた本だ。ページをめくっていってようやくそう気づいた。ページは太陽系の話から十二星座の紹介に差し掛かる。季節ごとの星座の見つけ方、それを構成する恒星、その呼称。ギリシアの神話に由来するエピソード。
丁度うお座のページに辿り着いたところで、私はページをめくる指を止めた。

「見つけちゃったね」

 覗きこんだままのアルペルグが寂しそうに笑った。
アルレシャ、フム・アル・サマカー。そのページに彼女たちの名前が星として記されている。加えて、鉛筆でこう書き込まれていた。

「『イータ星、アルペルグ、2018年に正式承認』」

 私が顔をあげると自然とアルペルグと目が合った。残念そうに、諦めるように頷いて、これが正しい記述であることを確かめさせる。
アルペルグは恒星の名前だ。アルレシャも、フムも、スピカも、アルデバランも……
私は自分が夢を見ていると悟った。そしてそれがもう覚めゆく最中にあることもまた。

「あたしの手料理くらい食べていけばよかったのに、働き者だねえ」

 アルペルグは私の首に手を回した。私はおずおずとそれに応え、彼女の肌にゆっくりと指を滑らせる。

「でも、そういう人だから、あたし達はさ」

 耳元で囁く彼女の体温はとても高くて、心臓がその奥で強く鳴っていることを思わせた。こんなにも近くにいるというのに、別れの時が近いこともわかっていた。
違う、違う。私がそう念じても、それはかえって思考が明朗になるばかりだ。アルペルグはそれを制した。

「あたしはさ、望遠鏡をはじめて覗いてくれた日から、ずっと見てたんだ」

 やめてくれ、覚めてしまう。認めたくない。泣きそうになっている私に、アルペルグは改めて頬を寄せた。
彼女はまるで人懐っこい大型犬みたいに私を押し倒し、境界線がなくなりそうなくらい強く抱きしめる。

「大好きだよ、ご主人」

 だから春風が吹き込むよう、窓を少しだけ開けておくよ。
荒れ狂う宇宙線のさなかにあっても、いつか辿り着けると思うから。

 ラピッドスター号は宇宙の闇を滑っていく。

 ──アルペルグ?

 一体どれくらいこうしていたのだろう。私が気がかりな眠りから覚めると、頬には涙の跡がはっきりと乾いていた。
見回すと、私はラピッドスター号の薄暗いDシフトルームで倒れていたのだとわかった。機器の電源は落ちたままになっていて、遮光窓越しの光がその沈黙を照らしている。
私は立ち上がる気持ちも起きず、もうしばらくこうして冷たさに身を預けていようと思った。

 Dシフト。地球に居た頃からずっと考えていた。未知のテクノロジーの中でもとりわけ謎に包まれていて、何なのか、何のためのものなのかもわからないまま、地球人類は設計図を組み立てた。訳のわからないままラピッドスター号に載せ、今もまだここにある。
そしてそこから恒星たちは現れた。何を意味しているのかも教えてくれないままに。

 次は誰が来るのかなあ。

 彼女がそう呟いたような気がした。
私はどうしようか考えたあと、精一杯笑みを作って、満天の星空を仰いだ。